ホームにいました。
地震発生の瞬間は揺れていることがわからず、構内の放送で気づきました。
安全のためその場を動かないようにとの内容でしたが、生き埋めになったら怖いと
思い、走って階段で地上へ。
地上に出ると周辺の雑居ビル同士がぶつかるのではないかと思うぐらい激しく
揺れており、家族が心配になりすぐに奥さんのPHSへ電話。
千葉の自宅では震度5強の揺れでした。特にモノが落ちるようなことはありま
せんでしたが、大型テレビは押さえていなければ落ちていたかもしれない状態
だったそうです。家が壊れるのではないかという恐怖を感じたとのこと。
第一波が収まったところで、電車は全く動かないため、とりあえず歩いて
取引先へ向かうことに。このときはまさか電車が全線運休になるとは思いも
しませんでした。
PHSでずっと奥さんと電話をしながら取引先まで向かう途中、ビルからは人が
大勢道路に出てきていて、ただならぬ様相でした。
取引先も大変な状態でしたが、とりあえず用件を済ませました。
16時頃だったと思いますが、今後も大混乱が予想されたため、とりあえず
食べ物と飲み物の確保にコンビニに入ったところ、すでにおにぎりやパンなど
すぐに食べられるものは完売状態。近くの喫茶店でサンドイッチを購入し、
自宅方面へ向かうバスを待ちましたが、全く来る気配がないため、ひとまず
歩いて会社へ戻ることに。
この頃には、歩道はどこまで歩くともしれない会社員で埋め尽くされている状態
でした。
会社へ戻ってしばらくすると、電車は終日運休とわかり、翌日も動くかわからな
かったので、奥さんの実家でお世話になることにしました。
すでに1時間以上歩いて結構な疲れがあったのですが、さらに徒歩で2時間半か
けて都内マンションについたのは、20時を過ぎていたと思います。エレベー
タは停止しており、革靴で限界に達していた足には、13階までの道のりは過酷
でした。
奥さんの実家は地震によってテレビや電灯が落ちたりして大変だったらしいの
ですが、私が着いたころには大分片付いていました。
ガスが点かないということでしたが、確認して再起動を行うことで復旧。
お義父さんは店に出ており、帰宅難民となったサラリーマンが朝までいるため、
帰らないということで、お義母さんと軽く晩酌。
のつもりが、お酒の好きな
お義母さんに勧められるまま、2人でビールを
だいぶ飲んでしまった。
余震が続いており、築20年を超えた13階では結構な揺れを感じる。
私:「これじゃ今また大きな地震が来たら逃げられないですねぇ。」
義母:「そんときはもう諦めるわよ!」
自分は奥さんと子供を残して諦めるわけにいかず、制震構造の会社の
ビルにいた方が安全だったかも…と、ほんの少しだけ考えました。
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翌朝は電車も動き出したので自宅へ向かいましたが、最寄駅の路線
が動いておらず、やっと自宅へ着いたのは昼過ぎでした。